【300万稼いだ】我が人生最大の自己投資はプログラミングだった

我が身を助けた人生最大の投資はプログラミングだった プログラミング
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昔の『ことわざ』に【芸は身を助ける】と言う言葉がありますよね。

更に20代は自己投資しろ!とか色々偉い人が言っておられます。

そして日本の不景気が続いて、高齢化社会が加速して、今の20代30代の世代の人は老後の心配とか、お金の心配とか沢山の不安を抱えていると思います。

更に、自分が生きていく術を持たない人は、今後何をして生活して行くのでしょうか?

ずっとサラリーマン?20代だとしたら残り50年60年間・・・半世紀以上もどこかの会社に所属して働き続けるのですか?

正直、私も経験しましたが、35歳を過ぎると受け入れてくれる会社がぐーーーーーんと減ります

裸一貫で、あなたは何が出来ますか?手に職を持っていますか?

 

そんな時に『自分が持てる武器は何ですか?』と自問自答した結果、私の場合は『プログラミング』だったのです。

私の場合は、『生れつき体が弱い』こともあって、40代50代で肉体労働出来る自信はありませんでしたし、パチンコ屋の店員としても20代の時点で断られる程に、身体が弱いのです。

正直、私はいつまで元気に働き続けられるか分かりません。

それだけに、前出の『残り半世紀以上も会社に所属して働き続ける自信はありませんでした。』

と言う所に繋がります。

ちなみに私は学歴もありません。貯金は少しありました(笑

正直、身体が元気ならば、何をやらせても、それなりに人よりは出来る自信はありましたし、それまで経験してきた仕事では、大抵はリーダー的なポジションについて仕事をしてきました。

しかし、この先の人生、いつまで働き続けられるか分かりません、お金が尽きたら人生終わりです。

働けない + お金無い = おしまい

こう言う構図が私の頭の中に常にあり、漠然とした不安がいつも頭をよぎっていました。

生まれた家がお金持ち、資産家の家だったとしたら、親の遺産や持家で暮らす事も出来たでしょう。

しかし、私が生まれた家は、元々貧乏家族で、今では自分の実家で私が寝る場所すらありません。

 

それはつまり、親のスネをかじってニートする事すら出来ません(笑

今までだって、16歳から水商売の世界に憧れ足を踏み入れて、そのまま働き続けてきました。

夜の商売を長年続けてきた人には分かると思いますが、まっとうに年金すら積み立てて来ていないわけです。

社会保険すら殆ど持っていた事が無く、国民保険の状態だったのです。

そんな私が、年金をアテに出来る筈もなく、将来への不安が募るばかりでした。

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未経験でプログラムを独学で学ぶ辛さ

当時の私は24歳、インターネットがまだISDN時代だった頃から、水商売の時の会社の相談役が『私にPCを勧めてくれた』おかげで、HTMLの知識は元々少しはありました。

全て独学でネットで遊んで居るうちに覚えた程度だったので、ホームページビルダーを使ってサイトを作る事は出来るけど、本格的な『お金を取ってサイトを作る』と言う事は出来ませんでした。

当時は色々あってニートだったので、会社に入ってお金を貰いながらプログラムを学ぼう!と言う安易な発想から、Web制作会社を就職先として探していました。

最初は、制作会社に入ればプログラムを教えて貰いながら仕事が出来ると思って入った会社にはプログラムは全て外注、自社で行っているのはデザインとコーディングだけの会社だったんです。

それでも当時はWeb制作に関して、ほぼ素人レベルだったのでデザインやコーディング、納品までの流れを知るだけでも、非常に勉強になりました。

結局は当時の会社のディレクターが、毎日のように客からクレームを受けるような人だったので、フルタイムアルバイターの私がディレクターとして採用されたのです。

普通に考えたら、あり得ない事だし、あり得ない大出世だったんです(笑

それまでは、フルタイムアルバイターとして、デザインを手伝ったり、特大ポスターの印刷をプロッターで出すような仕事をしていました。

ようするに雑用アルバイターですね。

社長が鬱病になって会社がひっくり返った

ディレクターに大抜擢されてからは、マーケティングの本や、SEOの知識、コーディングやプログラムの良し悪しに関する本を読みまくりました。

企業としてのWeb戦略の知識や、Web制作の仕事の受注から納品までの流れなども、本を読んで今の自社と他社の違いなどを主に勉強していたんです。

私が今後、今の会社を退職した時に『どこに出ても一端のWeb制作者として恥かしくない人物になろう』と決めていたからです。

元々親会社の社長の出資でWeb制作部門だった会社を、当時のリーダーが分社化して貰う事で1つの会社に独立した会社となったのです。

 

が、ある日、それは起こりました。

 

魔のサーバーダウンです。

 

Webを見たお客様が毎日スケジュールを見て来店する関係の仕事だった為に、サーバーダウンでWebが見れなければ問合せすら入らないと言う状況に追いやられる為に、約17店舗あった親会社のグループの各店舗から、ひっきりなしに苦情の電話が寄せられたのです。

原因は外注社員のサーバー管理者が、おかしなプログラムを組んだ事が原因で、サーバーがハングアップしてしまったのです。

しかも、当時はその原因が突き止められず5日間も、騙し騙し運営していたので、表示速度はかなり遅くなり、2・3時間するとサーバーがハングアップすると言うお粗末な状態。

その間も会社の電話は鳴りっぱなし・・・ついに親会社の社長から『損害賠償の訴訟起こすから覚悟しとけ!』と言われる始末。

 

独立したばかりの資金の余裕が無い会社なだけに、今訴訟なんてされたら一発で会社は崩壊してしまいます

 

なんてたって、独立の為に社長が出したお金は200万円だけだったんですから(笑

それでも、元部門だった事もあり、独立と同時に顧客も固定されていたので、毎月500万600万と売上を上げる会社だったんです。

それが独立した途端・・・半年も経たないうちにサーバーダウンの憂き目に会い、私はもうダメだと思い退職を決意しました。

その頃はもう、社長は会社に出てくる事は無く、出てきても夜の11時とか・・・親会社の社長が来ると聞いた途端に、逃げるように家に帰ってしまう始末。

対応はディレクターである私が一手に対応させられ、殆ど見たことも無い外注のサーバー管理者・・・状況が分からないし、何の権限も貰っていない私が対応出来る筈がありません。

謝るだけの日々が続き、その際に親会社の社長から『もうWebの委託先を変更するわ』と言われてしまい、500万600万確保出来ていた売上が見込めなくなったのです。

 

当然、独立したばかりの会社に営業社員はディレクターである私だけ。
親会社の他に取引のある会社なんてありません。。。委託先を変更されたら、当然売上はゼロになります。

会社を辞めると宣言した日からプログラムを独学で勉強

社長が精神科医の診断書を持って来て、嬉しそうに『俺、鬱病診断されたわ』とニヤニヤしながら言ってきた時点で、遅かれ早かれ『この会社終わるわ』と思ったのです。

しかし、当時の私は、マーケティングやWeb受注からコーディングと納品までの流れは理解したものの、プログラムなんて出来ません。

次の会社に入るなら、何か自信を持って『私はこれが出来ます!』と言える取り柄を作るか、会社に入らずに『独自でサービスを作る』しか無いと考えたのです。

当時の私は36歳になっていまして、IT系の就職先を探していたのですが、驚くほどに求人が無いのです。

 

いや・・・厳密には、30歳とか35歳まで!

 

と35歳を超えると驚くほどに仕事が減っていた現実があったから、独自でサービスを作ってそれを個人で売りまくって生活してやる!と考えていたのでした。

退職を宣言してから、退職するまでの1か月間、仕事が終わった後タイムカードを切って、会社のデスクに向かってPHPプログラミングの勉強を始めました。

家でも出来る事ではありますが、会社で居残り勉強した方が遥かに勉強が捗るんです。

誰も見ていない自宅では、ベッドにダイブしてしまったり、TVを見てサボってしまうので会社で勉強すると言う選択をしました。

プログラミングが分かった瞬間

当時ディレクターだった私は、プログラムと聞くと、画面がどうなってどうなる、と言う事ぐらいしか理解していませんでした。

つまり

HTML+CSSが『静的な表示』に対して、プログラムはサイトを訪れるユーザー1人1人の操作に合わせて『動的』に表示を変更出来ると言う事を理解していました。

ただそれだけでは、何がどうやって動くと言う事は全然理解していませんでしたし、PHPの教科書通り『Hello World』を表示してみたけれど、『は?それでなに?』プログラムって意味あるの?

と言う状態から、プログラムは『箱』を操るものだと言う理解に変わりました。

要するに、X(エックス)に好きな物を入れてそれを表示できる。

例えば:サイトを訪れたユーザーが、ABCと言う本をカートに入れました。
この場合Xの中にABCと言う本が入って、カートの中を見ると ABCの本が入っていると言う状態(表示)になる。

$x = 'ABC_books'; // エックスにABCを設定する
$cart = $x; // ABCの本が入ったX(エックス)
echo $cart; // カートの中身

超おおざっぱにプログラムを説明するとこれだけなんです。

例えば: 現在時刻がAM12時以下だと おはようございます と表示される。
この場合 Xの中にAM12時以下の時刻が入り それをIF文で判断した結果が午前だと判明して『おはようございます』と表示される。

$x = date("H"); // 現在の時間(Hourのみ取得)
if($x < 12){ // Xが12以下なら
$aisatsu = 'おはようございます';
}else{ // 12と同じかそれ以上だった場合
$aisatsu = '朝じゃないですね';
}
echo $aisatsu;

こう言う事ですね。

これが分かった瞬間に私はプログラムを理解しました。

深夜の会社の事務所で

 

『アーーーーーーーーーッ』

 

って言っちゃいました。

だって、あれだけ難しいと思っていたプログラムも、要はXと言う箱を操作するものだと理解出来たからです。

自分にはこれしかない!と思った

あれだけプログラムは難しい、簡単に出来るもんじゃない、プログラム書ける奴は天才だと思っていたのに、実はただXの中身に何を入れるのか?ってだけじゃないか!と気づいてから、私の学習は加速しました。

物凄く難解だと思っていたプログラム、私の中では非常に価値のある技術を手に入れるチャンスを得たのですから、それからは睡眠をも惜しんで会社から帰って来てスグに自宅PCの前に座りPHPプログラムを書き続けました。

休みの日には14時間、食事は1回だけと言う事も普通にありましたし、何よりプログラムが楽し過ぎて『空腹を忘れるぐらいに』没頭してしまっていたのです。

そして、1日でも早くプログラムを覚えて、私独自のサービスを作って独立するしかない、会社を辞めるまでの期間は残り3日を切っていました。

 

私が当時作ったのは、ある業種専門のホームページ制作CMSでした。

PHPプログラムを覚えてから3か月で作り上げたCMSですので、今から考えると『超絶穴だらけのへっぽこプログラム』です(笑

それでも、初期費用14万円 月額利用料8000円 と言う金額を頂いておりました(笑

今から考えると約10年前ですから、当時はそれでも良かったのです(笑

Web制作に居た頃からマーケティングも勉強していましたし、ある程度のWebでの営業方法もITサラリーマン時代に培った経験があったので、何とかなりました。

CMSが完成しても、完成とは言えず朝から晩まで、寝る間を惜しんでPHPプログラムに没頭して自社の商品を改善する為に、引き続きPHPを勉強しまくったのです。

貯金が減り続ける恐怖

会社を退職した当初は200万弱の貯金がありました。

が、退職してから4か月の間、無収入のまま自社商品を開発するべく、せっせとプログラムを勉強しながら組んでいましたので、貯金はどんどん減って行きます。

プログラムを選んで良かったと思ったのは、

  • 材料費が掛からない
  • 場所を取らない
  • 開発コストは自分の飯代だけ
  • ネット営業はお金を掛けずに出来る

と言う、超絶コスパ最強なのですが、家賃・電気・水道・ガス・携帯代の支払いに加えて国民健康保険と年金の支払いを続けていましたから、貯金はみるみる減って行き、自社商品の完成が先か貯金が尽きるのが先かと言う状態でした。

CMSが完成したとは言え、まだまだエラーやバグは沢山残っていましたが、とにかく早く営業して収入を得なければ、貯金が底を突いてしまうと心の中にいつも焦りがありました。

お金の恐怖との闘いの中、毎日100均のパスタを1食だけ食べながら、毎日14~18時間も開発を続けていました。

 

営業が功を奏して開発したCMSが数件売れました。

しかしながら、初期費用14万と月額8000円では、貯金はまだまだ減り続けます。

商品を販売する為のWebサイトも簡単に作って、メール営業と開発を続ける毎日に変わったのです。

それでも、営業の成果はチビチビとしか売れず・・・月額費用は貰っているものの貯金は減り続けていますから、軌道に乗るまではまだまだ先だと気付いたのです。

月1本CMSを売る事が出来たら、1か月貯金を減らさずに生き延びる事が出来るのです(笑

SNS営業戦略で3か月間で300万の売上げを上げた方法

この頃になると、はっきり言って貯金はもう限界に来ていました。

CMS売らなきゃ支払うお金すら無い(笑

そんな状況の中、私が打った手段は『SNSマーケティング』でした。

最初に言っておきますが、これは約10年も前に私が実際に行った方法で半分はスパムに近いようなグレーな手法です。

 

今ではそのSNSも下火になっており、同じ手法は使えないと思われます。

しかし、当時のプログラムの価値はHTMLコーディングの3倍・・・いや4倍。

静的サイト1サイト 15万~20万だとして、PHPプログラムが出来ると30万~60万の単価のお金を貰えたんです。

要するにPHPの単価は美味しい状態でした。

当時のプログラム求人の募集の殆どはJAVAかPHPの2択と言われるぐらいにPHPが全盛期でしたので、選択の余地も無く、Web系やるならPHPで決まり!と言う世代です。

 

当時のPHPの単価を知って頂いた所で、私が行った実際の戦略を紹介します。

私がやったのは、M●xiでアカウントを作ってプログラマーであると言うプロフィールを書いて、自動足跡ツールを使って、ビジネス系のコミュニティに足跡を付けまくりました。(笑

そして、プロフィールには『有益なアイデアなら無料でPHPプログラムを組むので、一緒にビジネスしましょう!』と書いていたのです。

ビジネスをしたいけど資本が無い、ネットでこんなプログラム作れたら絶対稼げるだろ、と言うアイデアが毎日3通程メールで届きました。

中には私は独立したいけど、ホームページが無いから無料で作って欲しい、と言う相談も一杯来てました。

『ちゃんと嫁!』って感じなんですけど、こう言うメールこそが美味しいお金に成る仕事になったのです。

 

あーそれね、そんな感じだと大体15万円で作れますよ?

 

ん?Twitterを利用したサイトの制作、あーはいはい作れますよ 60万円ね!

 

はい!おーー良いアイデアですね、40万円で作れますね!

はい!それなら15万円でやります!

と言う風にビジネスがしたいと言う人から、どんどんサイト作って欲しい(無料で)と言うラブコールを頂いて、片っ端から見積もりメールを返してったんです。

当然、無料に釣られてきた人も多かったのですが、そんな人は『あーそうですか、じゃぁ良いです』と言われる事が多かったですが、中には『え?そんな値段で作れるの?』と言う意見も多かったのです。

 

実はここにもタネ明かしがありまして(笑

システム系のアイデアを貰った場合、倍額を提示して、私は今勉強中だから半額にしますよ と提案したのです。

その結果、300万円ちょっとの仕事を受注する事が出来て、その頃にはCMSの事なんて忘れちゃいました(笑

 

今振り返って思うと、プログラムが出来たからこそ、今の私があって、今も当時の『私の罠に引っ掛かった顧客』との付き合いが続いています。

あの時、プログラムを勉強して居なかったら、今の私はどうなっていたんだろう?と思うと心底ゾッとします。

次の記事はこちら! 私は33歳から!30代からのプログラミングは遅くない!【手に職を付ける】

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